――秋のシーズン、滑り出しは決して上々とは言えませんでしたね。
新名 大体大(第2節)とのゲームが、台風で延期されたじゃないですか。悪い試合の流れが、あれで断ち切れた。大産大戦(第3節)も、立ち上がりは良くなかったけど、気合いは入っててみんな異様に声出てたんですよ。負けた甲南大戦(天皇杯兵庫県予選決勝)も関大戦(第1節)も、序盤攻めながらもすごい嫌なイメージがあったんです。正直言って、8月は全く身体動かなかったし、何やっていいかわかんなかった。大産大戦の勝利ですごいふっきれました。
――リーグ前には4年生に下級生がついてこられないという話もありましたが。
成山 3年と4年でミーティングしたんですよ。1、2年の分の意見を含んで3年が報告ってんで。
新名 そしたら意識の差っていうか、根本的考えの違いっていうのが見えた。
――サッカーに対してですか? それともクラブに対して?
新名 試合には4年がたくさん出てるから、サッカーに対してはあんまり口は挟まないけど、チームの姿勢とか方針とかについて。あいつらから見たら、「こんなにハイテンションでやられても」ということを言ってきた。
――確かに「テンション高い4回生」と阿部(洋夫)監督も言っていましたからね。
新名 だから、後輩からどうしたらいいかわかんないと言われました。ただ4年が非常に大人だったのは、「こういうやり方もあるんじゃない」って向こうをわかろうした。去年から大会続きで常に突っ走ってきたし、落ち着いて話し合うっていうチャンスが全然とれなかったら、あそこで何か理解できたんかなぁって。
成山 下の学年もなんだかんだ言いつつも、そのミーティングの後はついてきてくれたもんね。お互いがね、頭良かったなって。
新名 夏までだらしなかったやつらが、少しずつ良くなっていったんです。リーグの途中から、いっつもへらへらしてた連中が、ランのときに後ろから走って抜くようになったから、「これは」と思って。
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関西学院大学
新名幹大選手(4年・主将)
成山一郎選手(4年)
宮崎健治選手(4年)
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1部昇格と同時に関西学院大に入学し、チームとともに成長していった4年生。西が丘で、涙と笑顔で締めくくった彼らの大学サッカーとは、何だったのか。ひたすら走りぬけた4年間を、主将・新名幹大、中盤のダイナモ・成山一郎、エース・宮崎健治が語る。
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Text&Photo:Y.Kanie
1999年12月取材
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