
――本多選手自身のことを聞かせてください。大学でサッカーを続けようというのは、高校の頃から考えていたことなんですか?

高校は無名のところだったんですけど、国体に選ばれて全国大会を経験することができたんです。でもその国体も、自分の力を発揮できずに1回戦ですぐ負けちゃっいまして……。やっぱり、将来的にもっと上のレベルでやっていきたいと思ったんで、1浪してなんとか学芸大に入りました。

――高校のときのやり残し感が強かったということでしょうか。

強かったですね。自分の力を出せず国体が終わっちゃったんで、すごいくやしくて……。

――いろいろな大学の中で、学芸大を選んだ理由は?

先生になりたいっていう夢があって、それからサッカーもしたかった。で、いろいろな人と話をしたら、学芸にはいい監督がいるっていうふうに聞いたんで……。これは学芸大しかないと。

――当時の学芸は2部と都県リーグとの入れ替え戦を戦うことのほうが多かったですよね。そういうところに不安はなかったんですか?

僕、青森出身なんですけど、青森にはあんまりそういう情報が入ってこなくて(笑)。そこまでは考えてなかったです。
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1999年全日本大学サッカー選手権


先生になりたい夢があって
サッカーもしたかった
それで学芸しかないと

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