【掲載:07年2月】
 大学サッカーでは時々、不思議な光景に出くわすことがある。試合前のベンチからテンポのいい音楽が張り響き、試合後ともなればクールダウンの場所で選手全員が仰向けになり、目をつぶって息を吐いている――。これらは“メンタルトレーニング”の一環として行なわれているものだ。メンタルトレーニングは、心理面の強化による競技力向上を目的としており、いくつかの大学が導入して結果をあげている。そのメンタルトレーニングの第一人者として活躍しているのが、東海大学体育学部で教鞭を取る高妻容一助教授だ。高妻氏は東海大サッカー部のほか、ユニバ代表や大学選抜チームでもメンタルトレーニングを実施。多くの選手がその効果の恩恵にあずかっている。
06_羽生直剛

 たとえば現在FC東京でプレーする羽生直剛も、このメンタルトレーニングの洗礼を受けたひとりだ。きっかけは、関東選抜のメンバーに選ばれたことだった。羽生が選ばれた関東Aの監督は、メンタルトレーニングを導入している青山学院大の宮崎純一監督。そうした事情から、関東選抜の強化合宿には高妻氏が招聘され、羽生はそのとき初めてメンタルトレーニングに触れることになった。

 「羽生はもともと、なんでも前向きにやってみようというタイプ。自分自身のパフォーマンスだけではなく、チームとして戦うスキルを上げるという意味でもメンタルトレーニングに興味を持っていたようだ」。宮崎監督は、当時の羽生をそう振り返る。実際、羽生のメンタルトレーニングへの傾向ぶりは他のメンバーからも笑い話にされるほど。「羽生はすっかりメントレにハマってる」といわれ、試合前の集中を高めるシーンでは羽生の明るい声がピッチの内外に響いた。関東Aはデンソーチャレンジサッカー(大学の地域対抗戦)で優勝し、羽生自身も最優秀選手を受賞。続いて行なわれた、デンソーカップ日韓戦の大学選抜チームやや同年の北京ユニバ代表でも、羽生が率先してメンタルトレーニングに取り組んでいたのは言うまでもない。

 当時のことを羽生は「高妻先生が楽しく講義をしてくれたんで、自分もメンタルトレーニングを楽しく取り入れようという気持ちがあった。それがまわりからすると“ハマっている”というふうに見えたのかも」と笑う。いずれにせよ、もとから前向きな姿勢を持つ羽生には、“積極性”“プラス思考”を重要なファクターとするメンタルトレーニングを受け入れやすい素地があったのかもしれない。また、前出の宮崎監督は「羽生は意識の高い選手で、人から何か“される”タイプじゃない。自分できちんと納得してから動く選手」という。きっかけは高妻氏の講義であっても、“与えられたまま”メンタルトレーニングをしていたわけではない。羽生の同級生で、'05年~'06年に筑波大を率いていた吉岡宏監督(現水戸GKコーチ)の「常にサッカーを楽しんでいて、ポジティブシンキング。一方でサッカーに対する意識は高く、自分に足りないものは素直に受け入れていた」という羽生に対する評価も、それを裏付けている。

 羽生が、プロデビューをはたした千葉のキープレーヤーとして押しも押されぬ活躍を見せ始めたころ、いまもメンタルトレーニングを続けているのかを尋ねたことがある。「ウォーミングアップの前しかしてない」が、現在も続けているという。「これをやってるからいい動きができたという実感があるわけじゃない。でも毎試合やることで、これをやったら戦いの場に出るんだという意識付けになる」と羽生。選手によって試合前の精神集中はいろいろな形がある。「僕の場合、床に寝転がるから目立っているだけ」と羽生は笑うが、彼のブレのないプレーとしなやかな精神力は、大学時代に学んだメンタルトレーニングをうまく取り込んだその結果なのかもしれない。



-After Story-

 羽生の積極性は、千葉の監督だったイビチャ・オシムの考えるサッカーをいち速く受け入れて実践し、“オシムサッカーの申し子”と呼ばれたことからもわかる。'06年にオシムは日本代表監督となり“愛弟子”である羽生も代表に選出。だが続く岡田ジャパンでは'08年の春先の怪我で辞退して以来代表から遠ざかり、南アフリカ大会にメンバーに選ばれることはなかった。

 '08年には千葉からFC東京に移籍するやいなや、チームの中核として活躍。'09年にはFC東京の2度目のナビスコカップ優勝に貢献した。ちなみにナビスコカップ優勝は、千葉時代も含め通算3度目。ナビスコカップとは非常に相性がいいようだ。

 昨年とは一転、今年は不振にあえぐFC東京の文字通り精神的支柱として奔走。だが、残念ながらチームは降格。来季FC東京はJ2で戦うこととなった。そういえばユニバ時代のメンタルトレーニングでは、いちばん最初に「10年後のなりたい自分」を書き出すのだと聞いたことがある。プロになって9年目、はたして羽生の「10年後」は大学時代に予想したとおりだったのだろうか。
(文・写真/飯嶋玲子)


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